久しぶりにレッスンに行ってきました。
先生とたくさん話してきました。
これから先も週一でレッスンに行けないかもって話をして、来年の発表会どうする?って言われて、ソナチネは長くて大変だから嫌だって言って、ブルグミュラー25の練習曲からにしようかななんて話をしていて・・・。
この前の発表会も全然弾けなかったって言ったら、先生は、本番でノーミスで弾けなかったら私が弾けなかったと言っていると思ったようですが、私は時間をかけても曲を仕上げることができなかったから弾けなかったと言ったのです。
そしたら、先生から去年よりも上手くなったでしょ?音もきれいな音が出せるようにったでしょ?って言われました。
それに関しては動画が残っているので、動画を見比べるとそうなっているので、否定できません。でも体感として、弾けなかったという思いがあります。心から自由に気持ちよく弾けたという感覚がこれっぽっちもないので、弾けたという感覚がわきません。
発表会の本番までに、家族に当たったりとか、物を投げつけたくなるぐらいの大きなストレスがかかってしまいます。ですが、本番のステージの上で、毎回ピアノって楽しいな、私やっぱりピアノ好きなんだな~って思います。だから出ないということは考えてなくて、その本番までにかかるストレスが減らせたらと思っていたのです。
それで、ブルグ25にしようと思いました。
先生から何で辛くなるの?と言われ、レッスン期間が長くなると気を付けなくちゃいけないことが増えて、あれもこれも気を付けながら弾くと身動きとれなくなって、弾くのが大変になって、全部やろうとしてもできないから、イライラしてストレスになってしまうって言ったら
長くレッスンしていくと言われることが増えていくかもしれないけど、積み重なっていっていくから、前に言われたことをそんなに気にしなくても良いんだよと言われました。
私は先生に習ったこと全部メモして、弾き方や手の位置、音色、フレージング、弾く時はその全てに気を配り、さらに自分で練習してここはこうしたいと思ったことにも気を配りながら弾こうとしていました。
私の中には、子どもの頃他の生徒と比べられてできなかったという思いが強く残っていて、今も自分はできないんだと思い込んでいるから、自分よりも難しい曲を弾いている人や同じレベルの曲を弾いている人はの多くは、自分が気を配っていることの全てに気を配りながら、かつ速度もそれなりの速度で弾くことができていて、自分だけができていないと思っていました。
先生から子供の時にできないって思ったこと引きずってるんじゃない?って言われて、その時とは、習う先生も、環境も、私自身も変わっているから、もう忘れて、その思いを捨て去ったほうがいいって言われて、「できない」の起源が子どもの頃にあることに気付きました。
前に、先生から習ったことの中から取捨選択して今の自分に取り入れるべきことを選んでいかないといけないかもって書いたけど。
その時は自分ができてないから全部をやろうとしないで、取捨選択って思ったけど、もしかして、私いろんなことを同時にやろうとし過ぎてただけなんじゃ・・・。
もしかして、そんなことをしながら弾こうとしてるの私だけなんじゃ・・・。
もしかして、普通の人は新しいこと習ったらその前のことは一旦忘れるの?
え、そしたらピアノ弾くの簡単じゃん。
私、16年も同じ先生にピアノ習ってて、ブルグミュラー大好きなのに、まだブルグミュラー25の練習曲も終わってなくて、すこぐ劣等感を感じていたんだけど、自分で難しくしていただけかもしれない。
それでも楽譜通りに弾きたいという気持ちに変わりはないけど、自分らしさというか私の(無意識の)感覚も使いながら、できる範囲で楽譜通りに弾きたい、とちょっと考えが変わりました。
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