12月から母が週に1度、(私の)祖母の見守りに行くことになりました。
同じ市内ですが、電車だけで45分ぐらいかからいます。
私と母は同じ先生に習っていて、レッスンも同じ曜日に行っています。祖母のところに行く日がピアノのレッスンと重なるので、どうする?って思って、ピアノのレッスンやめる?って母に聞いたらやめないと言いました。私はピアノのレッスンやめてもいいと思っていることを伝えると、やめないほうがいいと言われました。
あまり人に対してああしたほうがいい、こうしたほうがいいって言わない母がはっきりと言ったので、やめるのはとりあえず保留にしました。
今のレッスンはどうしているのかというと、軽い手の痛みがあり10月の終わりからピアノを習っていませんでした。先生の専門が声楽なので発声練習的なことや体の使い方を習っていました。
ピアノを習わなくなったことで、レッスンのためにピアノの練習する必要がなくなりました。頑張って上達することからも解放されました。そしたらストレスが減って、仕事の処理スピードが上がりました。私、仕事中にも何かとピアノのこと考えていたんですよね。自分にとってピアノのレッスンがストレスになっていたんだなということに気づきました。
手の痛みはそれほど強くなかったので、ちょっとだけ自分が楽しめる範囲でピアノを引いていました。ストレスなく楽しめていたので、ピアノとの付き合い方はその程度でも十分だなと思っていました。ただ先生とのつながりが細くなってしまうのは寂しいなと思っていました。
そんな状態の時、たまたま行った公民館事業のコーヒーとおやつの講座で幼稚園の時の先生に出会いました。42年ぶりですよ。しかも私そういうとろこに行かないのですが、講師の方が父の知り合いで私も知っている方だったので申し込んだんです。人が集まる所は苦手なのですが、なぜかすごく楽しみでした。で、久しぶりに再会して先生に言われたのが、まだピアノやってる?ピアノ好きだったもんね。続けてね。
そんな42年ぶりに会った先生からピアノのこと言われるとは...。そんなに私ピアノが好きだったんだ〜。
でも思い出してみると、子どもの頃は自分から思っていることをハキハキ言えない子だったけど、自分の意思で初めてやりたいって言って習ったのがピアノだっったなと。周りで習っている子もいなくて、子どもの頃の私にとってピアノは自分の誇りのようなものだったんだなと時を経て幼稚園の先生と出会って初めてわかりました。
そういえば、大人になってピアノ再開したのも、うつ状態になって実家に戻ってきてフラフラな時で、フラフラでもなぜかピアノだけは練習できたし、レッスンにも週一で通えてたな。
私自身はセンスとか表現力とかないと思っているけど、自分のやったことあることとかできることの中で言ったら、もしかしたら自分を表現しやすいものなのかもと今書いていて思いました。
で、昨日レッスンだったのだけど、久しぶりにピアノ習ってきました。ブルグミュラーのなぐさめ。
今後レッスンで何を習うのか見えてないけど、ブルグミュラーはずっと習いたいかったので習いたい。あともう一つ思っているのは、上達のためとか、他の人がやっているからという理由で習う内容を決めないようにする。テンポアップして弾けるようになることに対しても労力を使うこともやめようと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿